
時代の背景
戦後の虚脱時代を過ぎ、独立を回復した昭和30年代の神武景気と言われた頃から国民の生活様式が次第に洋風化し、インテリアに対する国民の意識も高まり、その需要が急増するに及んでわが業界も俄かに活況を呈するに至った。
この需要の増加は、大企業の業界進出を促し、中小企業者を不当に圧迫する結果となったことから、その事態に対処するため中小企業等協同組合法に基づく協同組合を組織し、相互扶助の精神に則り、組合員の経済的、社会的地位の向上と業界の発展向上を図ることとなった。
日装連の設立
全国では、昭和34年東京を最初に、36年大阪、兵庫、37年京都以下41年までに愛知、広島、福岡、北海道、宮城、愛媛の10県の組合が結成され、日本室内装飾事業協同組合連合会(日装連)は、これら10単組の加盟のもとに昭和42年6月設立された。
全国組織が結成されることにより、業界の意見が行政に反映するようになり、建築基準法で雑工事として取り扱われていた室内装飾工事業が「内装仕上げ工事業」として独立したことは、その効果と考えられる。
日装連は、未組織県の組合結成への啓蒙に努めたが、44年福島、45年岐阜、46年石川、47年秋田の4件が結成したのみでなかなか進展しなかった。
防炎規制、内装制限の制定
昭和40年代、旅館、ホテルで多数の焼死者を出す火災が相次いで発生し、その原因として新建材と共にカーテン、壁紙がヤリ玉にあげられた。昭和44年の消防法の改正により、防炎規制(建築基準法では内装制限)が定められ、旅館、ホテル等法令で定める場所のカーテン、壁紙は燃えにくい防炎製品を使用することが義務づけられた。また、その防炎製品には「防炎ラベル」を貼付して防炎製品である旨を表示することとなった。
さらに、昭和48年、防炎規制の徹底を期して大幅な改正が加えられ、防炎ラベルの表示には資格を設け、消防庁長官の認定をうけることとなった。また、その表示行為の重要性にかんがみ罰則が適用されることとなった。
一方、防炎ラベルの交付シールも厳しく指導され、日装連→県組合→施工業者の体制実現のため未組織県の解消が至上の課題となり、日装連では、昭和48年11月全国未組織県を対象に「消防法改正による防炎規制説明会」を東京で開催し、組合の早期結成を呼びかけた。その結果、48年6組合、49年21組合、50年6組合が相次いで結成し、全県の結成を見るに至っている。
青森県室内装飾事業協同組合の設立
青森県では、48年11月の日装連の説明会を受け、(株)千葉室内の千葉社長が中心となり、県内業者の啓蒙に努めた結果、15社の同調者が見込める状況になったので、次の4名が発起人となり組合結成の準備が進められた。
発起人 (株)千葉室内 代表取締役 千葉哲朗
(株)吉田リビング 〃 藤木正幸
(株)三枝商店 〃 三枝俊夫
田中敷物商会 〃 田中 栄
昭和49年3月15日県内15社に組合設立の趣旨書と共に創立総会の案内状を発送した。
創立総会は、3月28日午後3時より青森市新町の「アラスカ会館」において開催し、組合設立の趣旨に賛同した下記15社全員が出席し、出席者全員が組合結成の諸条件に賛同し、ここに青森県室内装飾事業協同組合が成立することとなった。
●設立同意者名簿
| 所在地 |
会社名 |
代表者 |
| 青森市 |
(株)千葉室内 |
千葉哲朗 |
| 青森市 |
(有)小林室内 |
小林力男 |
| 八戸市 |
(株)吉田リビング |
藤木正幸 |
| 八戸市 |
(有)インテリアマルイチ |
長畑武次 |
| むつ市 |
(株)家具のオバラ |
小原良助 |
| 三沢市 |
丸西建装(株) |
近藤頼義 |
| 弘前市 |
(株)三枝商店 |
三枝俊夫 |
| 青森市 |
出町室内 |
出町千代治 |
| 弘前市 |
(株)山本タンス店 |
山本慎一 |
| 十和田市 |
(有)米澤家具センター |
米澤達也 |
| 黒石市 |
マルゲン |
千葉元造 |
| 三沢市 |
田中敷物商会 |
田中 栄 |
| 八戸市 |
(株)七尾家具百貨店 |
七尾泰博 |
| 弘前市 |
(株)かさい家具センター |
葛西豊助 |
| 弘前市 |
高橋寝具店 |
高橋武義 |
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